WOMENCANFLY.COの連載「THE WAY」では、毎月海外で暮らす素敵な女性をご紹介しています。 今回紹介するのは、イタリアの音楽院で声楽を学ぶ木本真唯子(きもと・まいこ)さんです。日本で音楽を教える大学講師として働いていましたが、27歳のときに一念発起し、イタリアへ音楽留学に行きました。現在はイタリアで出会ったイタリア人の旦那さんと、トスカーナのマッサという街で暮らしています。
今回、真唯子さんが日本在住のピアニスト・古賀美代子さんに呼びかけ、オンライン上で『初恋』を収録してくださいました。ぜひ記事と共に真唯子さんの歌もお楽しみください。
音楽で溢れる国イタリアに憧れて
真唯子さんが音楽に興味をもったのは小学生のとき。母親の職員旅行で観劇した宝塚がきっかけでした。 「最初はあまり興味はなかったのですが、観るとすっかり魅了され、劇場を出る時には『声楽を習いたい!』と母にお願いしていました」 旅行から戻ると、すぐにレッスンを受け始めます。その後も音楽に対する情熱は冷めることなく、大学、大学院と声楽を専攻。卒業後は大学の講師として、小学校教諭を目指す大学生に音楽を教えていました。 転機が訪れたのは、働き始めて2年目のゴールデンウィークです。 日本人ピアニストがローマに近いブラッチャーノという街で、5日間の声楽マスタークラスを開講。定員わずか5名でしたが、真唯子さんは選考を見事通過し、受講のチャンスを手に入れます。 26歳の春、真唯子さんはイタリアへ飛び立ちました。 「イタリアへ行くとすぐに街が気に入りました。音楽が生活の一部になっていて、街中が音楽に溢れているんです。『近いうちに絶対戻ってこよう』と決めました」 大学講師の仕事は楽しかったものの、同時に「本当にやりたい音楽ができていないのでは?」という葛藤も抱えていた真唯子さん。 イタリアで過ごした5日間は、蓋をしていた自分の気持ちに正直に向き合い、音楽が好きだと再確認できた貴重な時間となったのです。 マスタークラスから帰国すると、イタリアへの本格的な留学に向けて始動します。翌年には留学資金とビザの準備を整え、大学を退職。 2016年、真唯子さんは再びイタリアへ戻り、新たな一歩を踏み出しました。
英語が苦手だった私がイタリア語を話せるようになるまで
イタリア語を話せると、イタリア生活が何倍にも楽しくなります。 真唯子さんがイタリア語の勉強を始めたのは大学院1年生のとき。イタリア留学を決めるより、もっと前のことです。 「フランス語やドイツ語などいろんな言語のオペラがありますが、私はイタリア語で歌うオペラの響きが1番好きでした。イタリアオペラを専門に学んでいきたいと思ったのが、勉強を始めたきっかけです」 学生時代、英語は苦手だったという真唯子さん。語学学習には苦手意識がありましたが、イタリア語の勉強は楽しく続けられたのだそう。 細かいニュアンスを分かったうえで歌いたい。日本語の歌と同じように気持ちを込めて歌いたい、という思いで勉強を続けたそうです。 「毎日イタリア語で日記を書き、先生に添削してもらいました。自分が伝えたいことを自分の言葉で書くことが大切だと思います」 言語はコミュニケーションの手段であるはずなのに、学生時代の勉強は単なる試験対策になりがちです。 だからこそ今は、小さな間違いは気にせず「意味が通じればオッケー」という気持ちで、対話することに重きをおいているのだそう。 今ではイタリア語の歌詞を見ると、日本語訳がなくても歌詞のイメージが湧くようになりました。歌詞とイタリア人の暮らしがリンクすることもあるといいます。 「オペラのセリフは劇中だけで使われると思っていましたが、イタリア人は皆、日常的に情熱的なセリフを口にします」 真唯子さんの旦那さんも、「綺麗だね」や「似合うね」と毎日のように言ってくれるのだそう。 「日本にいた時はコンプレックスにばかり目が向いていたけど、イタリアではみんなが褒めてくれるので、自分に自信がもてました」 相手のいいところを見つけることが得意なイタリア人。褒められて育ったイタリア人は、自分のチャームポイントもしっかりわかっています。イタリアで、真唯子さんは自分を好きになれたのです。
今を精一杯楽しむイタリア人の働き方
イタリア人は感情を素直に表現することが得意です。 楽しいときは笑い、意見が異なれば大喧嘩。あちこちで、両手を広げながら喧嘩するイタリア人を見かけます。しかしイタリア人にとって、それは喧嘩ではく単なる「大きな声の話し合い」なのだそう。 また、イタリア人はいつでも今を精一杯楽しみます。そのため、目の前の楽しみを我慢して貯金したり、老後の生活を心配したりはしません。死んだ後のことは考えないので、死亡保険に加入する人も少ないのだとか。 失業率が高いのも、イタリア人の気質が関係しているのでは? と真唯子さんはいいます。 「イタリア人は好きなことを仕事にしたいという思いが強く、友人を見ていても、やりたくない仕事に就くよりは失業の方がマシだと考える人もいるようです」 希望する仕事に就けない場合、自分で事業を始める人も多いのだとか。真唯子さんの友人にも雑貨屋やカフェを営んでいる人は多く、起業のハードルは日本よりも低いようです。 また、今を楽しむというスタンスは休みのとり方にも表れており、夏には1ヶ月近いバケーションをとるのが一般的。 「私は昨年の夏に結婚したのですが、ちょうどバケーション期間だったので、指輪を買いに行ってもほとんどのメーカーは休業中。どこも品薄状態で困りました」 お客さんを待たせるのは、よくあることのよう。 真唯子さんの新居は2018年12月に完成予定でしたが、予定から2年が過ぎた2020年4月の今でもまだ完成していません。 これがイタリアなのです。
イタリアが抱える結婚・子育て問題、どう乗り越える?
イタリアは、婚姻率と出生率が低い国として知られています。
その理由の1つが、高い失業率です。イタリアは家賃などの生活費が高いため、安定した収入を得られない多くの人たちが結婚や出産を諦めています。
たとえ十分な収入があったとしても、イタリアの法律では離婚するのに相当なお金と期間を要するため、今は「事実婚」を選択するカップルが増えているのだそう。
また、家事や育児は女性の役割だという認識が残っており、働く女性にとって結婚や出産はキャリアを中断させる要因になっているのです。
イタリアの学校はお昼の1時頃に終わるため、午後には両親のどちらかが家にいなければいけません。多くの場合、母親が仕事を辞めて育児に専念せざるをえないのだそう。
女性が子育てと仕事を両立するには、家族の理解や協力がなければ難しいのです。
「ありがたいことに、旦那は私の音楽や仕事を理解してくれます。『好きなことを続けてほしい』と後押ししてくれるので、結婚してからより音楽に向き合えるようになりました」
今は旦那さんがフルタイムで働き、真唯子さんはパートタイムで働きながら学校に通っています。音楽院を卒業したら、子どもがほしいとのこと。ライフステージに合わせてバランスをとりながら、家族が協力し合うことが大切なのだと感じました。
イタリアで広めたい日本の美しい歌『初恋』
真唯子さんは今、週に4日音楽院に通い、臨時で日本人学校の生徒に音楽を教えています。
「イタリアの学生は能動的です。間違うことは恥ずかしいことではないとわかっているので、授業中は質問が飛び交います。先生に対して『それは違うと思う』と率直に意見を述べるのもよくあること。クラスメイトにもまれ、私もずいぶんたくましくなりました」
週末には、日本語学校の手伝いも続けているそう。日本に興味をもつイタリア人は多く、日本文化は多くのイタリア人に愛されているのです。
「私には今、やりたいことがあります。イタリア人に日本の歌曲を広めたいんです。日本人が作った美しい音楽をたくさんの人に聴いてほしいと思っています」
クラシックはヨーロッパで生まれたので、海外で演奏される曲のほとんどはヨーロッパの作曲家や作詞家がつくった音楽なのだそう。しかし日本にも、ヨーロッパで音楽を学んだ日本人が作った美しい歌がたくさんあります。
やりたい音楽を求めて日本を飛び出した真唯子さんですが、飛び出した先のイタリアで感じたのは、日本の音楽の美しさだったのです。
真唯子さんがイタリア人に伝えたい曲の1つに、石川啄木の『初恋』があります。記事の冒頭でご紹介した歌です。短歌の形式で構成されるこの詩は、初恋をうたっていながら「好き」という言葉は一度も使われていません。
砂山の砂に腹這ひ(はらばい)
初恋の
痛みを遠くおもひいづる日
(石川啄木)
愛情をストレートに伝え合うイタリア人には、「好き」と言わずに恋心を歌う日本の歌はどのように響くのでしょう。
真唯子さんが歌い、美代子さんが弾く「初恋」が、たくさんの人に届きますように。
Thank you for reading this, and We are always here for you !
Women can fly.
Much love, xxx
Team WCF
※WCFメールマガジンではいち早くWCFの記事をご覧いただけます!
よろしければcontact (下部)よりメールマガジンのご登録をお願いいたします。
Comments