WOMENCANFLY.COの連載企画「THE WAY」では、毎月海外で暮らす素敵な女性を紹介しています。
今回ご紹介するのは、シドニー在住のフローリスト、清水結花さんです。
29歳のときに「やりたいこと」を見つけるため、ワーキングホリデービザでオーストラリアのケアンズへやってきました。その後、移住から2年、申請から10ヶ月という驚異のスピードで永住権を取得します。
一般的には4年以上かかるという永住権取得ですが、結花さんはなぜ2年でとれたのでしょうか。ビザ取得までの過程、そしてフローリストという天職に出合い、仕事を得るまでの苦難の日々をご紹介します!
29歳のラストチャンス、ワーホリビザでオーストラリアへ
ホテル関係の専門学校を卒業後、約10年間飲食業界で働いてきた結花さん。得意な仕事ではあるけれど、ずっと「これが天職だ」とは思えずにいました。そのため20代は、バックパッカーで世界中を旅行していたのだそう。インドやネパールなど、25か国を訪れました。
「いろんな人に会い、いろんな場所に行ったけど、『これだ』と思えるものに出合うのって難しいんですよね。それを見つけられないことが、ずっとコンプレックスでした」
そんな自分を変えるため、29歳のときにワーホリビザでオーストラリアへ行くことを決意します。
「年齢を重ねるにつれてどんどん動きづらくなってしまうから、思い切って一気にビザを申請しました。航空券を調べたら、たまたま破格の100ドルくらいで出ていて。これは呼ばれているなと思いました」
一歩踏み出すのは勇気がいるけれど、その一歩を踏み出したら、2歩目、3歩目は自然と出てくるもの。見切り発車もときには大事だといいます。
仲のいい友人たちには、「結婚願望があるなら、日本で婚活した方がいい」、「もうすぐ30歳なんだから」などと猛反対されましたが、迷ったときこそ自分の直感を大事にしてきた結花さん。
友人たちに反対されたことが、より一層結花さんを奮い立たせてくれたのです。
2年のワーホリ計画から一転、目指せ!永住権取得
ケアンズへ渡った結花さんは滞在期間を延長するため、到着して早々にファームステイを開始します。オーストラリアでは、ファームステイをするとワーホリ期間をさらに延長できるセカンドビザが申請できるからです。
当初は2年で帰国する予定でしたが、ケアンズで出会った人たちに「結花ちゃんは英語ができるんだし、永住権をとったら?」と勧められ、永住権取得に挑戦することに。
「これまで何も成し遂げたことがなかったから、この大きなチャレンジで自分に自信をつけたかった。それが永住権をとろうと思った1番の理由です」
永住権を取得するには、いろいろなアプローチがあります。それぞれに条件が異なり、情報は常に変わるため、弁護士やビザエージェントなどのプロに依頼するのがオススメ。
結花さんは飲食経験が長いので、レストランマネージャー職で申請することにしました。そのためには、IELTSで全科目6.0点以上をとること、スポンサーをしてくれる職場を見つけること、レストランマネージャーとして3年間の経験を積むことなどが条件です(当時)。
ラッキーだったのは、「マネージャーの経験3年以上」という条件を、すでに日本の勤務経験で満たしていたこと。そのため、IELTS合格とスポンサー獲得に集中することができました。
ちなみに、結花さんはRegional Sponsored Migration Scheme visa(通称、RSMSビザ、187ビザ)を申請しました。これは地方向けの永住ビザで、通常であれば申請までに必要な2年間の勤務経験が免除されるなどのメリットがあります。2019年の大きな制度変更に伴いルールが大きく変わっていますので、興味のある方は最新情報をお確かめください。
大事なのは、運と負けん気! 蕁麻疹が出るほど努力したスポンサー獲得への道のり
結花さんは早速、日本食レストランに絞ってスポンサー企業を探し始めます。永住権は、オーストラリア人ではカバーできない職業や専門性のある人に出すものなので、日本人にとっては日本食レストランがもっとも取得しやすいと聞いたからです。
ところが、なかなかスポンサー企業は見つかりません。そこで、資金力とスポンサー経験のある大手寿司レストランを訪問。「とりあえず私を雇い、仕事ぶりが気に入ったらスポンサーを検討してください!」と交渉しました。
「経営者視点に立ったとき、仕事ができるか分からない人を雇うのはハードルが高いと思いました。だから、まずは仕事を見てほしいと交渉したんです。働きぶりを見てくれたらサポートしてくれるという自信はありました」
一度ダメだと言われても、そこで決して諦めない。相手の立場に立ち、互いにWin-Winとなるプランを提案できる賢さと、当たって砕けろという大胆さで口説き、見事採用されます。
日中は人の倍以上働き、仕事が終わってからは毎日3時間、独学でIELTSを勉強しました。あまりの多忙に蕁麻疹が出ることもありましたが、努力の甲斐あって3回目の受験でIELTSの基準に合格します。
「採用されてからも、スポンサーになってほしいというアピールはずっと続けていました。海外では、アピールすることも大事な仕事のひとつです」
そして遂には、日頃の努力と働きぶりを見ていたマネージャーがオーナーに掛け合ってくれ、なんと、スポンサーになることを承諾してくれるに至ったのです。
自分の気持ちに正直に。ケアンズからパースへ移り、永住権を取得!
スポンサーの申し出は嬉しかったのですが、結花さんは一度立ち止まりました。目の前には魅力的な「スポンサーをしてもらえる職場」があるものの、ケアンズから場所を変えてみたいという正直な気持ちを無視できなかったのです。
そこで1週間の休みをもらい、パースへ行ってみることに。
「パースに到着してすぐに、現地の弁護士を訪ねました。スポンサーを見つけたら永住権は取得できると言われたけど、スポンサー企業の斡旋はしていないと言われて。そこで、これまでにスポンサーの実績がある企業をリストアップしてもらいました」
そうしてリストの企業を1件1件訪問し、スポンサーになってもらえないかと自ら交渉することに。結花さんはなんと、パースに滞在した1週間のうちにスポンサーを見つけてしまったのです。
その後、早速パースへ引っ越し、スポンサー企業へ転職。3ヶ月間で必要書類を揃え、永住権を申請します。その7ヶ月後に申請がおり、10ヶ月という驚異のスピードで、遂に永住権を手に入れました。
本当にやりたいこと、ワクワクすることを仕事に!
永住権取得後には、雰囲気のいいローカルのレストランで働き始めます。とはいえ、この時もまだ「本当にやりたいことってなんだろう」という気持ちは残ったまま。そのため、常にアンテナを張っていました。
ターニングポイントとなったのは、そのレストランでウェディングパーティーが行われた時のこと。「イベントスタイリスト」がお店の内装を、家具も含めて一からコーディネートし、素敵な空間をつくりあげました。その様子を見て、結花さんは「こういう仕事がやりたい!」と感じたのです。
「すぐにそのイベントスタイリストさんに、『無給でいいので、アシスタントとして手伝わせてください』と頼みました」
ここでも、すぐに行動に移した結花さん。ここぞという時、チャンスは自ら掴みにいかなければいけません。
実際にアシスタントをしてみると、イベントスタイリストとして働くためには、お花や照明、配色、舞台美術など幅広い知識が必要だとわかりました。そこで、結花さんはとっかかりとして、お花を勉強することにします。
このとき、32歳。未経験の世界に飛び込むことを決め、メルボルンにあるフローリストの専門学校に通い始めたのです。
ゼロから掴んだフローリストという天職
フローリストとは、お花のアレンジメントをするデザイナーのこと。専門学校では、花の知識に関する大量の課題が毎日のように出され、同時に花屋さんでのインターンシップで実技も学ぶ必要がありました。
花屋さんの朝は早いため、毎朝5時に起きて出勤します。15時位まで働き、夕方からは学費と生活費を稼ぐためにレストランの仕事へ。課題は仕事の休憩時間にやっていたのだそう。時間もお金もギリギリの生活が続きました。
「友達と過ごす時間もないからひとりぼっちで、街を歩いていたら突然涙が止まらなくなったこともありました」
しかし結花さんは、自分の気持ちが踊るようなワクワクする仕事に携われている誇りを感じていたのだそう。ハードワークな中でも、持ち前の行動力で憧れのお花屋さんに猛アピールし、無給インターンシップを始めます。つまり、3つの仕事をかけもちしながら学校に通っていたのです。
「ここでもインターンが終わったら、有給で雇ってほしいとアピールしました。そのために効率よく働き、かゆいところに手が届くアシスタントを徹底して、デザイナーの技術を目で盗もうと必死の毎日でした」
こうして、インターンを終えた後は本当に有給で雇ってもらえることに。憧れの店舗で、フローリストとしてのキャリアを実現させたのです。
シドニーで見つけた新しい幸せ
結花さんは今、シドニーで暮らしています。メルボルンの店舗で1年間実績を積んだ後、フローリストとしてのステップアップを図るべく、シドニーへやってきました。
シドニーでは、共通の趣味であるサルサを通してイタリア人の彼との出会いにも恵まれ、結花さんのお腹には新しい命が宿っています。
「人生、何があるかわかりませんね。紆余曲折があったけど、全部繋がっている。無駄なことはひとつもありません」
10年以上一生懸命探しても見つけられなかった「本当にやりたいこと」。結花さんは、さまざまな苦労を乗り越えながらもオーストラリアで見つけることができたのです。
「私が好きなのは、母の日です。お小遣いを握り締めてお花を買いに来る子どもたちや、男性が花束を持って歩く姿が好きなんですよね」
結花さんのお名前は、清い水でいつか大輪の花を結ぶようにという意味を込めて、ご両親がつけてくれたのだそう。結花さんがフローリストという仕事に出合ったことは運命だったのかもしれません。相手のことを考えながら一生懸命選ぶ姿や、貰って喜ぶ笑顔、自分のために買ったお花に癒されるひととき……。
結花さんが結んだお花たちが、今日もみんなの心を温かくしています。
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Women can fly.
Much love, xxx
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